閉塞感ただよう日常で気づいたテクノロジーと儀式の意義

卒入学式シーズンのこの時期、コロナウイルス対策で式典も簡略化や中止が余儀なくされ、本来ならばおめでたいことも自粛しなければいけないムードがただよっています。

わが家もめでたく卒業と入学を迎えますが、華々しい気分になるどころか、なんとなく閉塞感に包まれている感じです。

そんななか、簡略的な卒業式を終えた日に感じたことがあります。

「おめでとう」の言葉でめざめた想い

在校生なし、来賓も最小限度の小学校の卒業式でしたが、式の予行練習もできなかった子どもたちは、本番前に少し練習時間を設けていたようでした。(親はその間、待機)

校長先生の式辞にも感動しましたし、式後の送る会では保護者役員の方々のはたらきによって先生方に花束の贈呈をするなど、送る側も送られる側も6年間の小学校生活の節目を飾ろうと一生懸命でしたが、やはりなんとなく寂しさがのこる卒業式だったことは否めません。

同じ日に別の小学校へ行った保育園時代のお友だちの卒業の様子がSNSでアップされていたので、寂しさを打ち消すかのように、お互いに「おめでとう」と送りあっていたら……。

Facebookでは「おめでとう」のワードに反応して、桜の花びらが舞い散るアニメーションがスマホ画面に現れる仕様になっていました。いつもなら素通りしていたでしょうが、今回はそのアニメーションが「もっとお祝いしていいんだよ」とメッセージを送っているかのように感じたのです。

リアル社会での自粛ムードを吹き飛ばすかのように、インターネット上の四次元空間がお祝いムードを表現してくれたことで、これまではそれほど意味があると思っていなかったそのテクノロジーの効力を思いがけず実感することとなりました。

また、その夜、車内で聴いたラジオからは、リスナーからの卒入学・合格・就職内定などのたくさんの「おめでとう」メールが読み上げられ、お祝いの言葉が連発されていました。

まさに、そのラジオ番組はおめでとうムード一色で、聴いている自分も祝福された感じがして、いっとき幸せな気分に浸ることができました。

リアルな場面での「おめでとう」もありました。息子世代より少し上の懐かしい顔たちに出くわし、彼らが息子の卒業にふれ、「おめでとうございます!」と声をかけてくれたこと。
普段なら、たんなる世間話の延長にしか感じなかったかもしれない挨拶に、そのときは本当にうれしく感じている自分がいました。

そうした出来事をとおして気づいたのは、自分自身が想像以上に社会の空気感に影響されていたこと、そしてお祝いムードにひたる時間を失いかけていることでした。

儀式のおもみに気づく

もうひとつ気づいたことは、節目におこなう儀式とは、SNSのアニメーションであったり、ラジオのリスナーの声であったり、懐かしい人たちの言葉のような役割を果たしているのではないかということです。

祝賀の儀式であれば「お祝いしていいんだよ」というメッセージや空気をつくることが、その儀式の意義であり、別れの儀式であれば「喪失感にひたってもいいんだよ」という、日常とは少し違う感情を抱いていい場面を演出する意味があるのではないかと思うのです。

なぜなら、私たちは社会的な動物であるため、無意識に日常用の仮面を身につけており、その日常から解放され、感情を吐き出す時間が必要になります。儀式はその節目をになっており、その節目を迎えることであらたな気持ちや想いを抱き、新生活をスタートさせるのが、私たちの社会の在りようだからです。

冠婚葬祭の儀式の意味は、だからこそ大きく、その時期におこなえることが望ましいのですが、大規模になるほど自粛が必要になるので、ほんとに悩ましいことであります。

本来、おこなうはずだった儀式や行事を自粛されているのであれば、少しでもその気持ちを解放できる場面をつくることが必要であり、感情まで抑えることのないようにしていただきたいなと思います。

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