ブラピ主演の『アド・アストラ』を『死の哲学入門』を用いて解説してみる

先日、公開されたばかりのブラッドピット主演の『アド・アストラ』を見てきました。

ほんとはエルトン・ジョンの半生を描いた『ロケットマン』を見たかったのですが、朝の回しか上映しておらず、妥協して選んだのがこの映画です。

しかし、想像していた以上に見ごたえある内容でした!
もしかしたら、その日に読んでいた『誰も教えてくれなかったの哲学入門』のおかげかもしれません。いや、むしろこの本がなかったら、この映画を楽しむことができなかった気がします。

内藤理恵子氏の『誰も教えてくれなかったの哲学入門』がなければ、この映画は宇宙観と死生観を描いている、という見方はできず、何が言いたい映画かわからず、「やっぱり『ロケットマン』が見たかった…」という感想で終わっていたことでしょう。

(※以下、ネタバレ注意)

映画は近未来が舞台。
ZOZOの元社長の前澤さんが月旅行計画を発表してニュースになる現代からみると、映画は次世代、すでに月へ移住している人たちがいる設定になっています。

ブラッドピット演ずるロイの父親クリフォード(トミー・リー・ジョーンズ演)は、地球外知的生命体の探求に人生をささげた科学者で、その調査中に宇宙で消息を絶ち、英雄として名を残していました。

父親の期待どおりに宇宙飛行士(でありながら少佐なので、近未来では宇宙飛行士は軍人でもある?)になったロイですが、家庭を顧みず研究に没頭していた父親との心の交流が欠落したまま成長したことで、人間的な感情と向き合えず、恋人とも別れ、孤独でありながら優秀なパイロットでした。

あるとき、作業中に「サージ電流」が起こり、多くの死亡者が出ます。同じく被害を受けたロイは一命をとりとめますが、その後もサージ電流は各地で起こり、混乱をきたすなか、上層部から呼び出され、父について衝撃の事実を聞かされます。

出典 IMDb

父は宇宙の彼方で生きている。
そして、サージ電流を起こしているのは、その父であると-。

父を探し、止めさせるために、宇宙へ向かうことになったロイ。宇宙で父の足取りをつかむその姿は、父との葛藤と向き合いながら、彼自身の心の旅でもあるというのが映画の大まかなストーリーです。

宇宙空間を「死」とみなすと、父子それぞれの死生観がみえる

出典 IMDb

宇宙という漆黒の闇に浮かぶ、水と空気あふれる青いビー玉(blue marble)のような地球。その存在は、宇宙への移住が可能になった近未来人にとっては癒しでもあります。「秩序がある地球と無秩序な宇宙」という対比からはじまり、気づくとそれは「生命体(有機体)と非生命体(無機体)」、「生と死」の対比のメタファーでもあるのです。

父クリフォードの死生観

最終的にロイは父クリフォードと対面しますが、そのときクリフォードは知的生命体の発見という使命のため、家庭を捨て、宇宙へ逃避行していた自分を認めます。

研究者として生きてきたクリフォードにとって、知的生命体を見つけだすことだけに命を費やしたい。それが彼の生きる目的となっていました。

未知との遭遇は、たしかに人類にとって大きな意味を持ちますが、そのために使用するエネルギーが地球を脅かすものであることがわかった今、彼の存在じたいが人類の脅威です。

出典 IMDb

研究に没頭しながら宇宙へ逃避行し、最終的には地球へ帰還するよう手をたずさえる息子ロイをふりはらい、宇宙空間に身投げするさまは、『誰も教えてくれなかったの哲学入門』で一番目に取り上げられた哲学者・キルケゴールの姿を彷彿させます。

キルケゴールにとって、この世界はあまりに過酷なものでした。
(略)
彼は、リアルな恋愛や結婚から逃げ、イエス・キリストをロールモデルに「生きるための著作」を数多く刊行しました。
(略)
そんな苦難の人生を送ったキルケゴールは街で昏倒し、病院に担ぎ込まれ、42歳で亡くなりました。彼は、入院中に見舞いに来た兄との面会を拒絶しています。家族とではなく、たった一人で、神に愛されながら死ぬ道を選んだのです。

引用 『誰も教えてくれなかったの哲学入門』

「真理の探究」のために命を捧げたという面では、本書の第6章に登場するヴィトゲンシュタインそのままといっても過言ではないでしょう。

ヴィトゲンシュタインの死生観は、シンプルです。自分の命をどれだけ真理の探究に使うことができるか、ただそれだけでした。

引用 『誰も教えてくれなかったの哲学入門』

宇宙科学者としての死生観でいけば、最終章のジョルダーノ・ブルーノと重なるところも大いにあります。ブルーノはキリスト教支配の強いルネサンス期に、独自の理論でキリスト教の信仰と多元宇宙の存在をリミックスしようとして、火あぶりに処された「登場が早すぎた天才」(著者表現を引用)哲学者です。

ブルーノは、どこかに「私たちの住む世界と同じ世界」があると考えました。無限の宇宙の中には、私やあなたと同じような存在が他にもいて、どこかで同じようなことをしているかもしれない、という突拍子もない世界観ですが、彼はそれを信じていました。

(略)

彼の思想では「神」がそのまま「宇宙」ですから、その中で起こる死に対しても動じないというものでした。

引用 『誰も教えてくれなかったの哲学入門』

命を自身が遂げたい目的のためだけに使い、それが果たせないならば死を選ぶことをいとわないクリフォード。対してロイは、父との心のふれあい、身体のふれあいをずっと心の奥底で望んでおり、それが叶ったと思った瞬間、漆黒の宇宙空間へ消えていきます。

それは、まるで宇宙空間が虚無を表しているかのようであり、その虚無が死を彷彿させ、この映画の宇宙は、「革新的な死生観を示したサルトル」(著者表現を引用)の「不条理な死」を示しているとも捉えることができます。

サルトルは「死は誕生前と同じものだ」と指摘しています。つまり、ゼロから来てゼロに戻るだけであり、そこに意味を見出しえない。いわば、死とは「虚無」なのです。
ニーチェの場合は、生を繰り返す(永遠回帰)ことで生を補強し、死の意味を消しましたが、サルトルの場合は、「無」から「無」へと戻るだけです。

引用 『誰も教えてくれなかったの哲学入門』

クリフォードとロイの親子が目指した宇宙。それは言い換えると「死」そのものであり、たしかに命は死に向かっているともいえる。『誰も教えてくれなかったの哲学入門』の第8章に登場する釈迦も「死の不条理と絶対性」を説いています。

クリフォードのあごひげに、ふと亡き父の記憶が浮かびあがり、かつて存在した「ふれあい」を失っていく旅路が人生である事実をつきつけられたように感じました。

では、ロイの死生観はクリフォードとどう違うのでしょうか。

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