縄文がわたしたちに教えてくれること

最近、じわじわと「縄文ブーム」が起こっています。

2018年には、東京国立博物館で「縄文―1万年の美の鼓動」という特別展が開催され、30万人の入場者を記録しました。

世界に類をみない縄文土器や土偶の造形のユニークさ。そしてそこに横たわる祈り。
見た目とその精神世界の奥深さに、一度惹かれたが最後、その謎を解き明かそうと縄文文化に憑りつかれてしまう人々が多くいるようです。

実はわたしもその一人。過去のブログで、「土偶」「貝塚」にふれたことがあり、縄文人の生活には、今のわたしたちが忘れてしまっている生と死においての真理があるのでは、と興味を抱いていました。

だけど、世の中には自分の興味などとは比較にならないくらいに、「縄文にハマっている人々」が存在しているんですね。

この映画は、富山市中心街の「HOTORI×ほとり座」で公開されたのですが、わたしが行った最終日も、小さなシアターの席がほぼ満席に近い状態でした。

映画はドキュメンタリーになっていて、タイトルどおり、縄文にハマった人々がそれぞれの立場や視点から、その魅力を語り、解説をします。

大学教授にデザイナー、アーティスト、博物館教授、考古学者、プログラマー、造形家、ネイティブアメリカンなど、総勢25名が思い想いの縄文を熱く語り、観ているわたしたちに、あらたな視点を投げかけてくれました。

祈りの造形-縄文土器と土偶

縄文時代というと、まず思い浮かぶのはその由来となった、縄目模様が入った土器。世界の先史土器のなかでも群を抜く造形美を誇り、日本人だけでなく、世界中の人を虜にしています。

「縄文にハマる人々」公式サイトより

縄文土器を見ると、まずその過剰な装飾に度肝を抜かれますが、「なぜ、普段使いする土器を、こんなに使いにくくデコラティブにしたのか」と疑問がわいてきます。

しかし、その疑問こそが、現代の価値観に侵されてしまっている、われわれ現代人の感覚なのだ、と映画は教えてくれます。

道具に機能性を持たせ、非合理的なものを排除していく傾向にあるのが現代の特徴であるとするなら、縄文土器という道具に求められているのは、機能性や合理性以外の意味があったのではないか。

その装飾をよく見ると、へびなどの生物に似ていなくもないし、別のものには取っ手部分に動物の顔のようなものが施されています。
このような突起物、いわばムダなものをつけるのは、同時代の他の文化では見られず、日本でも次の弥生時代には装飾性はなくなり、とてもシンプルで使いやすい土器になっています。

身の回りのものに使いやすさよりも意味を求めた文化

オーストラリアの狩猟採集民について詳しい教授によると、彼らも絵によって説話を語る習慣があり、同じく狩猟採集民である縄文人も、土器を説話などを語るツールとしていた可能性が考えられるそうです。

そう考えると、一万年以上もの長き間続いたこの時代に作られた土器や土偶が、日本列島全土にわたって出土するのは、それらが道具としてだけでなく、ストーリーを伝播させる役割をになっていたとしても全く不思議ではありません。

また、縄文にはゴミという感覚がないといいます。貝塚から出てくる土器の破片や人骨は、今の感覚でならば、ゴミとして一ヶ所に集めたと考えてしまいますが、当時の人々にとっては、食べた貝殻や魚の骨もいのちとみなし、生き物の再生を願った、祈りの場所であったのかもしれない。(貝の成分が、貝そのものだけでなく、人骨が溶けずに残っている要因になっているのも興味深い)

計画的に生産できる農耕文化とは違い、自然ともっとも近かったからこその自然観が、縄文人が残したものから伝わってきます。

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